始めに
1ヶ月前の7月2日に発表された最新 US News & World のベストホスピタルランキングの心臓部門において10年連続でクリーブランド・クリニック (Cleveland Clinic) は1位に輝いた。
最新かつ最高の心臓手術技術を提供しながらも、病院滞在平均は、例えば、心臓バイパス手術で、クリーブランド・クリニックは5日間である。 (日本でトップの評価を得ている病院は13日から18日間) 病院あたりの年間平均症例数は、米国で500~600例、日本平均30例、日本のトップの評価を得ている病院で100件前後のところ、クリーブランド・クリニックは1,100件を数える。それもそのはず、このクリーブランド・クリニックは世界で初めての心臓バイパスを行った心臓疾患治療のパイオニア的な病院であり、当心臓センターは年間19万人の患者が訪れる。
ここでご紹介したいのは、世界レベルで屈指の心臓外科医のひとりとして著名なクリーブランド・クリニック 小児病院の先天性心臓疾患小児心臓外科ヘッド、Roger Mee医師 である。当小児心臓科では、年間400から500件の手術をこなし、小さな患者の分布は、50%が海外から、50%が米国国内からの来院という。海外は主に、欧州、中近東、カナダからの来院である。2002年実績では、クリーブランド・クリニックの小児心臓科で404件の先天性心臓疾患を直す手術が行われた。(クリーブランド・クリニック小児病院は先天性心臓疾患を持つ大人に対しての治療・手術も行っている。)
小さな命たちの命綱 (1) クリーブランド・クリニック小児病院小児心臓科
アンドリュー (男の赤ちゃん) は、米国の地元の病院で普通分娩で2000年7月18日に生まれた。全てはうまく行っているように見えたが、次の日、看護師が小児科医に検診に連れて行こうと抱きかかえたところ、アンドリューが真っ青になっているのに気づいた。看護師は医師の助けを求めに走った。アンドリューの呼吸は止まっていた。すぐに蘇生され、ICU (集中治療室) へと運ばれた。担当医は、母親に 「残念ですが、あなたの小さな息子さんには何か大変な問題が心臓にあるようです。」 と告げた。生まれつきの心臓疾患が認められたのである。
アンドリューは地元の病院から小児総合病院に早急に移された。血液の循環が悪すぎ、酸素を供給する機能を持つ肺まで血液が届かないため、酸素が充分に含まれていない血液が絶え間なくアンドリューの体中を循環するしかなかった。この結果、アンドリューの身体は真っ青に変っていった。小児総合病院の医師は心臓の導管転換処置の手術を試み、その後、アンドリューは退院した。しかし、全く良くなる兆しは見られない。
10月中旬、アンドリューの両親は見るに見兼ねて、同小児総合病院に息子を連れて行った。担当医師は、 「当病院ではもう一度手術を試みることに対し、全ての医師が躊躇している。」 と言い、新たな薬を処方し自宅療養を勧め、家に戻したが、アンドリューは自宅で3日間、吐き続け、状態は悪化するばかりだった。両親は、もう一度、アンドリューを同病院に連れて行ったが、病院で出来ることはもはや薬の量を増やすことのみだった。次の週にかけて、アンドリューは回復の兆しを全く見せず、悪化するのみで、薬投与がまったく効かない状態において、医師は、アンドリューのために 「これ以上、当病院で出来ることは残念ながらありません。」 と両親に伝えた。そして、医師は、両親がとれる道としては、たった2つしか残されていない、と言った。
- 彼らの小さな息子を連れ家に戻り、運命に身を任せる
- 医師から、クリーブランドにいるRoger Mee医師に助けてもらえる可能性があるか連絡をとってもらう
全世界でRoger Mee医師と同等の評判を持つ小児心臓科外科医は数えるほどしか存在しない。そのことからRoger Mee医師の病院、クリーブランド・クリニック小児病院小児心臓外科は、最悪のケースを請け負わざるをえない。つまり、いかなる医師も手のほどこしようのないどうにもしようがないケース、既に修正手術 (2度目以降の手術) が行われたにも関わらず失敗に終わったケース、希望がまったくないと判断されたケースなどである。
アンドリューの両親は、最後の一縷の希望としてRoger Mee医師に連絡を取ってもらうよう医師に懇願した。そしてRoger Mee医師はなんとか努力してみようではないかと、承諾したのだった。Roger Mee医師の手術室のドアは多くの小さな患者とその両親にとって、命と希望のドアなのである。
同時期、Roger Mee医師率いるクリーブランド・クリニック小児病院小児心臓病棟には、もう一組の夫婦が初めての子供である女児の赤ちゃんの、クリスティーナが新しい心臓を待ちながら生命維持装置につながれていた。結婚10年目にして3度の流産を経験し、養子縁組のプロセスを丁度始めたときに、飛び込んできた喜びの妊娠だったにも関わらず、妊娠中盤期で赤ちゃんに先天性心臓疾患があることが判明した。
クリスティーナが誕生した時点で、心臓移植のみが赤ちゃんを救う唯一の道である事を両親は知らされた。母親は多くの管でつながれた満2ヶ月になる小さな娘と画面を交互に見ながら、娘のために適合する心臓が出てくることを祈るばかりだった。しかし、娘の心臓のために祈ると同時に、母親はひどい自己嫌悪に苛まれた。なぜなら自分の娘に合う心臓を願うことは、他の小さな命が終わることを間接的に願うことだからである。
しかしながら母親にとって “心臓が見つかりましたよ” という電話を待つ以外望みがないのだった。移植を待つリストの5人の幼児のうち1人が、心臓がみつかる前に、死亡するという統計値を、なるべく考えないようにしながら、、、
アンドリューは、クリーブランド・クリニック小児病院小児心臓外科の手術室で麻酔をかけられ、喉に管が差し込まれ寝かされていた。外科医のモガ医師 (Dr. Frank Moga) がアンドリューの胸を開き、Mee医師が手術室に入ってきたときには全ての準備が整っていた。
Roger Mee医師は、特に際立った容貌を持ち合わせているわけではない。しかし、彼は威風堂々とし、場を指揮する存在感を持ち合わせ、 “Rogerが手術室にいるだけでその場の空気が引き締まり、スタッフたちの緊張感が高まる” とFrank Moga医師は言う。特に今日のような難しいケースを抱える手術室ではなおさらである。
同僚たちはMee医師を心臓手術分野のマイケルジョーダン、またはタイガーウッズと呼ぶ。現在50代であるMee医師は、年間300件の手術を執刀する。忙しいある年では、700件近くの手術を行ったと言う。Mee医師はアイルランド人の陸軍駐屯軍の牧師の父と、ニュージーランド人の教師である母との間に生まれた。ニュージーランドで教育を受けたMee医師は、オーストラリアのメルボルンにあるロイヤル小児病院で1980年代に名を揚げた。彼の病院が発表した幼児死亡率があまりに低い記録を作り、多くの人々は彼が嘘をついているのではないか、と疑ったほどである。
1990年代にMee医師と妻のヘレンは彼らの小さな2人の子供たちを連れて、クリーブランドに移った。1993年に、Larry A. Latson医師と2人でクリーブランド・クリニック小児病院小児心臓外科の組織を作ることに着手し、現在この2人はクリーブランド・クリニック小児病院小児心臓外科のChairman (会長) として指揮を執っている。
アンドリューの手術を執刀する今日、Mee医師は彼自身の技術の限界がどこまでかを試される、と感じた。Mee医師はどこまでできるか、と恐怖の念に襲われた。しかしながらMee医師は、恐怖の念を持つことも大切であると信じている。ある程度の緊張度を持たせる活力になるからである。
アンドリューの心臓を所見しMee医師は思わず唸ってしまった。暗く醜い褐色で、膨張し、ひどく大きくなってしまっており、アンドリューが地元の小児総合病院で行われた心臓の導管転換処置の箇所に触ることも難しいのである。 “我々はかなり長時間、ここ (手術室) にいることになりそうだね” Mee医師はスタッフに言った。
小児心臓外科医はすべてを持ち合わせてなければいけない。知性は当然のこと、技術、愛嬌 (子供たちを安心させる魅力)、決断力、頭蓋・顔面専門の整形外科医や脈管専門外科医が持ち合わせる繊細な縫合技術の専門性、神経外科医が持ち合わせるミリ単位の綿密性、それに加え、小児心臓外科医はその全てを敏速に行える必要がある。なぜなら、赤ちゃんの心臓が長く止まっていればいるほど、赤ちゃんの心臓自体の損傷と他の臓器への影響は大きくなるからである。事実上、精密さとスピードがここまで要求される手術は他にはないだろう。アンドリューの心臓は、クロスクランプでとめられ、血の気のない筋肉のようにほとんど白色になってから、既に一時間以上経過している。
まず最初の修繕処置は完了し、次にいよいよクロスクランプをはずせば、冠状動脈に血液が流れこみ、そして、心臓が動く、はずである。しかし、Mee医師がクロスクランプをはずしたにもかかわらず、心臓の鼓動は始まらなかった。Mee医師はアシスタントに不整脈を沈静する薬を投与するように指示した。Mee医師はアンドリューの左心室を摩擦し、マッサージし、右手を心臓の下に滑り込ませた。薬にまったく心臓は反応しなかったので、ショック療法を試みた。心臓は波打ったり、たまに収縮したりしながらも、動く様子が見られない。Mee医師がもう一度、ショック療法を試みようとしたその瞬間、心臓が鼓動を始めた。しかしながら、脈拍が妙に遅く、左の冠状動脈に血液が流れない。Mee医師は目を閉じ、深呼吸した。 “もし左の冠状動脈が動かないとなると、かなりまずい。”
クリーブランド・クリニック、 クリーブランド・クリニック小児病院小児心臓外科へお問い合わせをお考えの方は、さくらライフセイブアソシエイツまでご連絡下さいませ。
2004年夏、さくらライフセイブアソシエイツ代表とMee医師との会議で、Mee医師は “日本の小さな患者様を是非助けて差し上げたい” と言っておられます。Mee医師は、鋭い中に、深く優しい目を持った存在感のあるお医者様です。また、Mee医師と共にクリーブランド・クリニック小児病院 小児心臓外科を作り上げた小児心臓外科Chairman (会長)、Larry A. Latson医師とも会談し、 “日本の小さな患者様を助ける力になりたい” と言っておられます。
さくらライフセイブアソシエイツでは、全力を尽くし、小さな患者様、そのご家族の力になりたいと考えております。