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<代理出産リポート11>
代理出産の歴史(6)グレーだったタイの代理出産 ()

“赤ちゃん工場”と言われるほど、世界中からの依頼者が目指す代理出産の中心地であり、弊社のクライアントにも多くの赤ちゃんを授けてくれたインドが2003年から徐々に扉を閉じたこと、同時に、多くの斡旋会社や外国人依頼者がタイへ地を移した時期に、多くの新しい依頼者をお待たせていた弊社は、安全な地で代理出産をお手伝いするための調査を開始したことを前回までにお伝えしてきました。

法的に曖昧でインドと比較しても料金が大きく違わず、米国の代理出産と比較すると10%ほどの費用からできるタイの代理出産へ、インドから大移動がありましたが、弊社は法的にグレーゾーンであることは、潜在リスクであり、将来的に弊社クライアントを危険にさらす可能性がある、と考えていました。多くの斡旋業者がタイを選んだのは、逆にグレーである曖昧さとこの廉価性を有利と見たようですが、弊社としては反対にこの曖昧さは後年、問題になる要因と判断しました。当時、タイにおいては、代理出産の規制や生殖医療に関する法規がまったく存在していなかったのです。それまではインターナショナルの依頼者は、疑問も持たず、代理出産といれば、廉価なことで著名なインドの地を目指し、タイは選択肢として依頼者たちの辞書にも出てこない場所でしたが、インドの規制をきっかけに、タイの医師たちはここぞとばかりにビジネスを取りにいく動きが見られました。生殖医療に関する定まった規則、規制がないがため、人権が重んじられる取引であるべき代理出産でゆがみが発生し、大きなスキャンダルへと導き、メディアで大きく報じられたのは記憶に新しいと思います。このことから一般人も代理出産という言葉を目にするようになりました。このような代理母に関するスキャンダルが、本来、本当に生殖医療の治療や代理出産を必要としている患者にとっては、代理出産は狭き門となるきっかけとなりました。次回はこのタイでの出来事について説明します。

(次回掲載は11月第1週号)

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当文献は創刊45周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2019年10月5日に掲載されました

代理出産の歴史(6)グレーゾーンだからこそ潜在リスクがあったタイの代理出産