代理出産医療コンサルタントである弊社にいただくお問い合わせ件数でトップ5に入る代理出産について説明しています。弊社のクライアントにも多くの赤ちゃんを授けてくれた “赤ちゃん工場”と言われたインドが2013年から徐々に代理出産の扉を閉じたことにより、多くの斡旋(あっせん)会社や外国人依頼者が、生殖医療に関する法的規制がなかったタイへ地を移したことを前々回=9月7日号掲載=からお伝えしています。
タイでの生殖医療の治療の魅力は、廉価な値段と制約がなかったこと、そして、目的が達成できる技術を備えていることでした。インドからの代理出産依頼の大移動以前から、タイにおける廉価な性別選択(男女産み分け)は日本人が多く渡航したことでも有名です。受精卵に対する生体検査である着床前診断は日本では厳しく制限されており性別選択目的の当診断は不可能であったことと(現在でも不可能)、医療技術の最先端である西洋と比較すると廉価であったことから料金を抑えたいとする日本人が多く渡航していました。タイのクリニックとタイアップした日本の斡旋会社が、日本各地で説明会を開き、参加者に対して、通常は治療前に専門的な検査を行ってからではないと量や種類も分からないはずの薬を渡し、タイでの治療の即行予約を確定するという医療的に危険な勧誘を行っていたことも有名です。事前検査なしに、一律の投与方法とスケジュールをすべてのケースに適用する臨床見地からはかけ離れたこのマーケティング方法は、その不適切な投与量により卵巣が腫れすぎる卵巣過剰刺激症候群(OHSS)という副作用を起こしタイのホテルで重症になった、という多数の報告もなされました。 そして、13年に代理出産依頼の大移動が起こり、一瞬の間にタイは簡易で廉価な生殖医療を求める患者が世界中から集まる中心地として繁栄し始め、地理的にも近いオーストラリアやインドで依頼不可能になった欧州ヨーロッパからの同性愛カップルもタイを目指すようになりました。このように、インド政府が規制を開始してからタイのバンコクは生殖医療の依頼者が世界で最も殺到する都市になりました。そのような状況の中、14年にタイでは政権がひっくりかえるクーデターが起こります。(次回掲載は12月第1週号)
当文献は創刊45周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2019年11月2日に掲載されました