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<代理出産リポート14>
代理出産の歴史(9)2013年タイ代理出産取り締まり ()

弊社のクライアントにも多くの赤ちゃんを授けてくれた “赤ちゃん工場”と言われたインドが2013年から徐々に代理出産の扉を閉じたことにより、多くの斡旋(あっせん)会社や外国人依頼者が、生殖医療に関する法的規制がなかったタイへ地を移したこと、そして、グレーな状況を利用したタイの代理出産の繁栄がタイ政府からによる摘発の可能性があるのではないか、と13年秋ごろから話題になり始めていたことを前回、お伝えしました。

それは、インドからの移動後の1年、タイにおける商業代理母を取り巻く怪しい雲行きがあったためです。

そのひとつが、13年9月にタイの医療業議会が商業代理出産の取り締まりを強化する、とした動きです。タイの医療評議会は、子宮がなく妊娠ができない女性らに限っては血液関係にある代理母のみではなく他人にも代理母依頼ができるようにしたい、とした上で、タイが商業代理母の中心地になっていることを懸念し、取り締まりを強化したい、と表明しました。さらに14年1月に、イスラエル人依頼のタイ代理母から出生した65人の赤ちゃんにイスラエルの市民権が与えられず、タイを出国ができず自国へ代理出産の依頼者である親と共に帰れない、という大事件が起きました。その後、イスラエル政府は14年11月までに出生した子に限っては市民権を認める、というグレースピリオドを設けましたが、このような不穏な動きがあるタイの代理母サービスの行方を、多くの代理母業界関係者は疑念をいただきながら、見守っていました。

春を迎え、タイでは5月22日に軍クーデターによる政変が起きました。ここで軍(Junta)がタイの政権を取ることになり、そのトップがクーデターを宣言したプラユット陸軍総司令官でした。法律がないとしても、タイ医療評議会の商業代理出産禁止のガイドラインが存在し、グレーエリアである商業代理母に関わっている業者と依頼者は、注意すべきだった政変です。

(次回は2月第2週号掲載)

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当文献は創刊45周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2020年1月15日に掲載されました

代理出産の歴史(9)2013年9月にタイの医療業議会が商業代理出産取り締まり強化表明