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<代理出産リポート15>
代理出産の歴史(10)タイ軍、代理出産取り締まり ()

弊社のクライアントにも多くの赤ちゃんを授けてくれたインドが2013年にほぼ代理出産の扉を閉じたことにより、多くの斡旋(あっせん)会社や外国人依頼者が、生殖医療に関する法的規制がなかったタイへ地を移したあと、13年秋からタイにおける商業代理出産に関わるいくつかの不穏なニュースが報道され始めたこと、そして、翌年14年5月22日に軍(Junta)クーデターによる政変が起き、軍の代表であるプラユット陸軍総司令官によってタイは支配されることになったところまで、前回=1月11日号掲載=お伝えしました。

政権が変わってから代理出産に対する取り締まりが見られ始めました。クーデターから約1カ月たった14年6月末に代理母国際法務ネットワークの欧州の弁護士が、彼のクライアントである依頼者(同性愛者)と代理母から出生した1カ月の双子の乳児の出国時に空港出国管理取調室で1時間半の拘束があり、やっと出国を許された、という連絡が弊社を含む代理母国際法務ネットワークに入りました。拘束時に当局からされた質問では、なぜ、双子なのか、というところから始まったと、欧州弁護士は筆者に語りました。タイ社会では、先進生殖医療では当たり前の体外受精の産物である双子は珍しく、普通は理解されないからです。そして、なぜ生後1カ月の乳児を母親なしに出国させるのか、という質問に対し、代理出産である事実を隠し、取り調べ審査官に説明することは非常に難儀であった、と述べました。それまではバンコクの国際空港ではスムーズに出国できたのですが、このころからすでに政権による状況の変化が顕著になってきた、と筆者にその緊張を伝えました。

プラユット陸軍総司令官が、タイ政権を取るとともに、生殖医療が関わる医療ツーリズムの取り締まりを狙っていたのは明らかでした。
(次回は3月第1週号掲載)

代理出産についてのどのようなご質問でもご連絡ください

当文献は創刊45周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2020年2月1日に掲載されました

代理出産の歴史(10)タイで軍総司令官が政権掌握、代理出産取り締まり始まる