インド代理出産の実質閉鎖後、生殖医療に関する法的規制がなかったタイに代理出産の地が移った直後の2014年5月のクーデター勃発により軍(Junta)支配がなされ、軍事政権は、商業代理出産、卵子提供、男女産み分けなどの着床前診断は「人身売買」であるとし、禁止するに至ったことを前回=9月5日号掲載=までに伝えてきました。
このタイにおける代理出産の禁止は、14年5月に軍がタイの政権を取る前から予定していた改革の要項の一つでしたが、軍による踏み込み調査の約1週間後に起きた、依頼者がダウン症のグラミーちゃんを置き去った事件と邦人の代理出産から出生していた多数乳幼児がバンコクのアパートで見つかったことが発覚したという二つの事件が代理出産の取り締まりに拍車をかけ、世界中で、「代理出産」という4文字がニュースに普遍的に見られ始めるようになりました。それまで代理出産は当事者のみが求め、それほど一般的に語られない概念でしたが、連続して起こった幾つかの出来事により注目されるようになってきていました。
世界の代理出産事情がこのころから規制が開始され、変化し始めました。それまでは、先進生殖医療の進歩から派生した代理出産に関する制約や法律が存在しなかったため、先進国と比較して紙幣価値が低いインド、タイが単純に依頼者の行き先となっていましたが、13年、14年に代理出産の中心地であったこの2つの国の代理出産閉鎖により、世界で代理出産ができる場所が次第に少なくなってきたと同時に、このころから代理出産が法的に規制されるようになったため、合法的に商業代理出産が可能である、という法的な視点で、依頼者は探す必要が迫られるようになってきました。つまり、可能な場所が限られてくるようになってきたのです。
(次回は11月第1週号掲載)
当文献は創刊47周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2020年10月3日に掲載されました