“赤ちゃん工場”と言われるほど、世界中からの依頼者が目指す代理出産の中心地であったインドについて、前回=6月1日号掲載=から説明を開始しています。
2002年に商業的代理出産を認める最高裁判決が出てから10年間以上、13年にインド政府が代理出産の規制に乗り出すまで、年間400億円、インド中に3000以上に代理出産クリニックが繁栄したと推算されるほど世界中から依頼者が殺到しました。代理母をまとめて診察する代理出産用の待合所に弊社もよく訪れましたが、女性を搾取していると女性擁護グループが問題視した反面、代理母を志している貧困層の女性らにとっては健康であれば依頼者のために10カ月赤ちゃんを体内で育てることにより、彼女たちにとって大金を得ることが可能で、貧しい家族を支えることや自分の子供たちに教育を与えることが出来ると、代理母になるための応募が殺到していたことも事実です。13年にインド政府が規制に乗り出した理由は、国として、インドと先進国の依頼者との間で問題が浮上したためで、全ての依頼者に対してメディカルビザ(医療査証)の取得を義務づけることにより、代理出産産業にブレーキをかけはじめました。
弊社は11年から代理出産のコンサルテーションをインドを拠点とし開始しました。当リポートの代理出産シリーズの初回にも述べたように、代理出産はそれまで行っていなかった分野ではありますが、数名のロキタンスキー症の患者さまから弊社のコンサルテーションで代理出産によって赤ちゃんが欲しい、と依頼されたためです。弊社の依頼者の多くは医療上、妊娠ができない方が多いのですが、代理出産の原理上、男性同士のカップルの依頼が多く集中したことや、障害を持って生まれる子供を引き取らず、インドに置いて帰る依頼者がいたことによりインドの国としてのコストになる、という現象がインド政府が規制した理由だと言われています。
(次回掲載は8月第1週号)
当文献は創刊44周年を迎えるニューヨークの日本語新聞New York ビズ 2019年7月6日に掲載されました
代理出産の歴史(3)代理出産希望者が殺到したインド、問題多く代理出産産業に規制