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コロンビア大学付属病院の加藤友朗外科医、ニューヨークのヒーローに ()

7歳の女児の6臓器を取り出し悪性腫瘍(癌)切除成功:歴史に残る驚異の手術

ニューヨーク市では2007年末までに、稼動している約13000台のイエロータクシーに乗客用にテレビが装着された。2009年3月に全タクシー のそのテレビで映し出された姿が、コロンビア大学付属病院所属の日本人外科医、加藤友朗医師である。現在、コロンビア大学付属病院とコーネル大学付属病院 の2つの病院によって著名な“ニューヨーク・プレスバイテリアン病院”が構成されている。当病院の小児専門病院が今回舞台となったニューヨーク・プレスバ イテリアン・モルガンスタンレー小児科病院である。全てのニューヨーカーが、加藤友朗医師をヒーローとして讃えた。アメリカでこのニュースが大々的に報道 されたと同時に日本でも取り上げられ、さくらライフセイブにも多くの癌患者の家族から当医師による>セカンドオピニオン取得の依頼の電話が相次いだ。

2009年2月6日、悪性腫瘍(癌)を取り除くために6つの内臓を取り出し再び3つの臓器を元に戻す、というを23時間にも及ぶ大手術が行われ成功 した。この手術を執刀したのは、コロンビア大学付属病院所属の日本人外科医、加藤友朗医師率いる外科医チーム。加藤友朗医師は2008年に62歳の女性に 対し同様の手術を行い世界初の成功を収めた。今回の手術は7歳の女児に対して行われ、小児科におけるこのような手術は世界初。術後、一ヶ月入院し、回復は 順調であったため3月10日に無事退院する運びとなった。23時間にも及ぶ手術では、腹部にあったすべての他の外科医は手術不可能(取り除くことは不可 能)としたテニスボールサイズの悪性腫瘍を取り除くために、一時的に女児女児の胃、膵臓、脾臓、肝臓、大腸、小腸を体外に取り出した。悪性腫瘍は内臓と血 管に複雑に巻き付いていた。癌は膵臓及び、脾臓をも破壊しており、損失を免れることはできなかった。病変を取り除いた後、女児の大腸、小腸、肝臓は体内に戻された。加藤友朗医師は女児の胃は臓器の状態が悪く戻すことが出来なかったことから、食道と小腸を繋げ、胃の代替を形成した。この胃の代替について加藤 医師は“ホットドックコンテスト(ホットドッグ早食い競争)に参加は出来ないけれど、普通には食事が出来ます。胃バイパスを受けた患者が小食だけれども普通の食事が出来るのと同様です”と説明している。

ブラックジャック並の驚異的な手術を成し遂げた加藤医師は、女児の両親に術後に説明をしたと同時にソファーに崩れ落ち、眠りに落ちたと言う。長く厳 しい手術には慣れている加藤医師も新たな境地に足を踏み入れるほどの究極の23時間だった。 外科医チームは最初の7~8時間を女児の臓器と血管を体外に取り出すことを丁寧に行う事に使用した。これがもっとも神経を遣う仕事だったと言う。当方法論 は、一気に全ての臓器を取り出し、腫瘍を切り取り、体外で臓器を分ける、というものだ、と加藤医師は話す。 取り除かれた臓器は0度以上4度程の移植ケースに使用される保存液の中で冷やされた。この手術は、複数の移植手術と似ている、ただ、この女児患者自身が臓 器提供者となった、つまり、抗拒絶反応薬が(本人自身のものであるため)必要なかったところ違いであった。加藤医師は、他の外科医もこのテクニックを学び、採用してくれれば、と言う。今回の女児の悪性腫瘍は稀ではあったが、この方法は、もっと頻繁に見られる癌にも使用できる、と言う。

女児の母親は退院時の記者会見で“私に娘を返してくれて本当にありがとうございます。我々両親は、娘の命を助けてくれる外科医を探すために、ニュー ヨークから南部はマイアミまで探し回りました。最後に加藤医師を捜し当てました。誰もが、娘は手術台で死ぬが落ちさ、と言いましたけれど、加藤医師が我々の最後の頼みの綱だったのです”と話した。

加藤医師は、女児の肝臓が不全となる可能性をもとに女児の父親に、もし問題が発生した場合は、彼の肝臓を提供してもらえるように話をしていた。しかし、幸いにも女児の肝臓は問題なく体内に戻された。手術後、女児が目を覚ました時、父親に一つだけ質問をしたという。“追いやってくれた?” 巧く行ったよ、と話した時、女児は言った。

“ドクターケイトウ(アメリカでは加藤:KATOをケイトウと発音する)は私の唯一の望みだったんだもの”